伊勢物語より芥川「むかし、男ありけり。女の~」の現代語訳

伊勢物語第六段芥川

今回は歌人として有名な在原業平作とされる伊勢物語第六段より「芥川」の解説を行います。
芥川の前段の第五段「関守」、後段の第七段「かへる浪」に関しては以下の記事をご覧下さい。

本文と現代語訳を比較しながら読んでいってください。

芥川は、特に和歌の正確な意味把握を行うことで記憶に長く残すことができるのではないでしょうか。

追記:2019/05/12 芥川の補助文を付け足しました。補助文についての注意

芥川の原文&現代語訳

むかし、男ありけり。
女のえ得まじかりけるを、

昔、男がいました。
女の人で自分のものに出来なさそうだったのを、

年を経てよばひわたりけるを、

長年に渡り、求婚し続けていた人を

からうじて盗み出でて、いと暗きに来にけり。

やっとのことで盗み出し、とても暗い夜に来ました。

芥川といふ川を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、

芥川という川に連れて行くと、草の上に降りている露を見て

「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。

「あれは何でありましょうか。」と男に尋ねました。

行く先多く、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、

行く先の道は遠く、夜も更けたので、鬼が住んでいる所とも知らずに、

神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、

雷までもひどく鳴り、雨もひどく降ってきたので、

あばらなる倉に、女をば奥におし入れて、男、弓、胡籙(やなぐひ)を負ひて戸口に居り。

荒れ果てた倉に、女を奥に押し入れ、男は、弓と胡籙(やなぐひ)を背負い、蔵の戸口にいました。

(男は見張っていた)
はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、

早く夜よ明けてくれと思いながら座っていると、

鬼はや一口に食ひてけり。

鬼は早くも一口で食ってしまいました。

(食われたのは女)
「あなや」と言ひけれど、神鳴るさわぎに、え聞かざりけり。

「アレー!」と叫んだが、雷の音で、聞く事が出来ませんでした。

(叫んだのは女、聞けなかったのはもちろん男)
やうやう夜も明けゆくに、見れば、率て来し女もなし。

次第に夜も明けてきたので、見てみると、連れて来た女もいません。

足ずりをして泣けども、かひなし。

地団太を踏んで泣きますが、どうしようもないのでした。

↓そこで男は和歌を詠みます。
白玉か なにぞと人の 問ひしとき 露と答へて 消えなましものを

「あれは白玉でしょうか、何でしょうか。」とあの人が尋ねたときに、せめて「あれは露だ。」とだけでも答えて、私も一緒に露の如く消えてしまったらよかったのになあ。

(あの人は当然女)

芥川最後、実際は…

芥川の最後は途中で追っ手につかまり連れ戻されたことを、美談化したとされています。

ちょっとした芥川の余談と解説

芥川と聞くと多くの方はまずはじめに芥川龍之介を思い浮かべられるかと思いますが、彼は伊勢物語の芥川とは全く関係ありません。

彼が伊勢物語の芥川から筆名を得たように思う方もいるかもしれませんがそうではありません。そもそも芥川龍之介というの筆名ではなく本名です。

さて内容の解説です。

芥川は男が木になる女性を夜中に連れ出し逃げるという物語ですが、この男こそが在原業平であり、女性は藤原高子なのです(在原業平とは明記されていない)。2人の関係は伊勢物語の他の段より明らかになります。

結局この芥川の段では在原業平は、藤原高子を盗み出す途中で藤原家に追いつかれ高子を取り返されてしまう訳ですが、それを鬼に食べられてしまったとし、和歌を詠みあげてしまうという点に六歌仙でもある在原業平の素晴らしさが表現されていますね。

以上伊勢物語より芥川の現代語訳と解説でした。