讃岐典侍日記より「ついたちの日の~」わかりやすい現代語訳

讃岐典侍日記「ついたちの日の~」

今回は、讃岐典侍日記の一節から「ついたちの日の夕さりぞ参りつきて」を現代語訳していきます。

讃岐典侍日記の一節をより効率よく理解してもらうために原文と現代語訳を並列しておきました。従来型のサイトよりも見やすいかと思います。

まずは讃岐典侍日記について解説します。

讃岐典侍日記とは

平安時代後期に藤原長子によって書かれた日記文学で上巻と下巻に分かれています。

上巻では主に堀河天皇に仕えたころのことを、下巻では鳥羽天皇について記しています。

典侍(ないしのすけ)とは

律令制(りつりょうせい)において、内侍司の次官のことを指します。

讃岐典侍日記の原文&現代語訳

ついたちの日の夕さりぞ参りつきて、陣入るるより、
昔思ひ出でられて、かきぞくらさるる。

一日の日の夕方に宮中に参り着いて、陣の中に入ると、
昔の事を思い出してしまい、悲しい気持ちになってしまいます。

局に行きて着きて見れば、こと所にわたらせ給ひたる心地して、その夜は何となくて明けぬ。

局に行って着いて見ると、よそにお出ましになっていらっしゃるような気がし、その夜は何となく明けました。

つとめて、起きて見れば、雪いみじく降りたり。今もうち散る。

翌朝、起きて見ると、雪がたいそう降っていました。今も尚、降り乱れています。

御前を見れば、べちに違ひたることなき心地して、おはしますらむ有様、異事に思ひなされていたるほどに、

帝の方を見ると、別に変わったところもないような気持ちで、いらっしゃる様子が、うそのように思われていますと、

「降れ降れ、こ雪」と、いはけなき御けはひにておほせらるる、聞こゆる。

「降れ、降れ、こ雪」と、幼い御気配でおっしゃっているのが、聞こえます。

こは誰そ、誰が子にか、と思ふほどに、まことにさぞかし。

これは誰なの、誰の子なの、と思っていると、ほんとうに子供(鳥羽帝)なのでありました。

思ふにあさましう、これを主とうち頼み参らせてさぶらはむずるかと、頼もしげなきぞあはれなる。

あきれるほどだ、この人を主君としてお頼み申しあげてお仕えするのかと思うと、頼りになりそうになく、悲しく思われます。

昼ははしたなき心地して、暮れてぞ上る。

昼間は見苦しいような気がするので、日が暮れてから参上しました。

「今宵よきに、もの参らせ初めよ」と言ひに来れば、
お前の大殿油暗らかにしなして、

「今宵は日柄もよいので、お食事をさしあげ始めなさい。」と言いに来たので、
御前の灯火を暗くして、

「こち」とあれば、すべり出でて参らする、昔に違はず。

「こちらに。」と言うので、膝行して出て、お食事をさしあげる様子は、昔と変わりません。

御台のいと黒らかなる、御器なくてかはらけにてあるぞ、見慣らはぬ心地する。

お台がたいそう黒いのと、蓋付きの漆器ではなくて、土器であるのが、見慣れない気持ちが致します。

走りおはしまして、顔のもとにさし寄りて、「誰れぞ、こは」とおほせらるれば、

走っていらっしゃって、顔のそばに近づいて、「誰なの、この人は。」とおっしゃるので、

人々「堀河院の御乳母子ぞかし」と申せば、まこととおぼしたり。

人々が「堀川院の御乳母子ですよ。」と言うと、本当だと思っておられます。

ことのほかに、見参らせしほどよりは、おとなしくならせ給ひにける、と見ゆ。

格別に、以前拝見したときよりは、ご成長なさったと見えます。

をととしの事ぞかし、参らせ給ひて、弘徽殿におはしまいしに、

一昨年のことでした、宮中に参内されて、弘徽殿にいらっしゃいましたが、

この御方にわたらせ給ひしかば、しばしばかりありて、

こちらの方においでになったところ、しばらくたってから、

「今は、さは帰らせ給ひね。日の暮れぬ先に、かしらけづらむ」

「もう、それではお帰りなさい。日の暮れぬうちに髪をとかしましょう。」

と、そそのかし参らせ給ひしかば、

と、おすすめ申し上げましたら、

「今しばし、さぶらはばや」

「もう少し居たいなあ」

とおほせられたりしを、いみじうをかしげに思ひ参らせ給へりしなど、

とおっしゃったのを、たいそうかわいらしいとお思い申し上げていたことなど、

ただ今の心地して、かきくらす心地す。

つい今の気持ちがして、目の前が暗くなるような気持ちになるのでした。