大和物語”いはで思ふ”「帝、いとかしこく~」の現代語訳

大和物語

今回は大和物語よりいはで思ふの現代語訳を行います。

大和物語は作者未詳で平安時代成立の当時の貴族社会の和歌を中心とした歌物語です。伊勢物語の影響が強くみられます。

注目キーワードは『磐手』です。

大和物語の原文&現代語訳

帝、狩いとかしこく好み給ひけり。

帝はたいそう狩りを好みなさりました。

陸奥国磐手の郡より奉れる御鷹、世になくかしこかりれば、
二なう思して御手鷹にし給ひけり。

陸奥の国の磐手の郡から献上した御鷹が、またと無く優れていたので、
二つとないものとお思いになって自分の鷹になさりました。

名をば磐手となむつけ給へりける。

名前を磐手と名付けなさっていました。

それを、かの道に心ありて、あすかりて仕うまつり給ひける大納言に、
あづけ給ひける。

それを、鷹の道に心得があって、預かり世話をなさった事とのあった大納言に
預けなさりました。

夜昼これをあづかりて、取り飼ひ給ふほどに、
いかがし給ひけむ、そらし給ひてけり。

夜も昼もこれを預かり、飼育なさっているうちに、
どうしなさったことであろうか、逃がしなさってしまいました。

心肝をまどはして求むるに、さらにえ見出でず。

気が動転して探すが、全く見つけることが出来ません。

山々に人をやりつつ求めさすれど、さらにかひなし。

山々に人を行かせて探させるが全く見つかりません。

みづからも深き山に入りてまどひありき給へど、かひもなし。

自らも深い山に入って心を惑わせながら歩き回りなさるが、見つかりません。

このことを奏せで、しばしもあるべけれど、
二、三日にあげず御覧ぜぬ日なし。

このことを申し上げることが出来ずに、しばらくいることはできますけれども、
二三日と日を開けることなく(帝が御鷹の磐手を)ご覧にならない日はありません。

いかがせむとて、内裏に参りて、御鷹の失せたるよし奏し給ふ時に、
帝、ものものたまはせず。

どうしましょうと、宮中に参上して、御鷹がいなくなってしまったということを申し上げなさるが、
帝は何もおっしゃりません。

聞し召しつけぬにやあらむとて、また奏し給ふに、
面のみまもらせ給うて、ものものたまはず。

聞こえていらっしゃらないのだろうと再び申し上げなさると、
顔をのみ見つめなさって、何もおっしゃりません。

たいだいしと思したるなりけりと、
我にもあらぬ心地して、かしこまりていますかりて、

あるまじきことだと思って(失望無さって)いるのだなあと、
茫然として、恐縮していらっしゃって、

「この御鷹の、求むるに、侍らぬことを、いかさまにかし侍らむ。などか仰せ言も賜はぬ」

「この御鷹が、探すのに、おりませんことを、どういたしましょうか。どうして何もおっしゃって下さらないのでしょうか。」

と奏し給ふに、帝、

と申し上げなさると、帝は

「いはで思ふぞ言ふにまされる」

「何も言わずに心の中に思っているのは、口に出すことに勝る」

とのたまひけり。

とおっしゃりました。

かくのみのたまはせて、異事ものたまはざりけり。

このようにだけおっしゃって、他のことはおっしゃりませんでした。

御心にいといふかひなく惜しく思さるるになむありける。

御心にひどく言いようがないほど残念にお思いになっていたのでありました。

これをなむ、世の中の人、
もとをばとかく付けける。

これ(いはで思ふぞ言ふにまされる)に対し、世の中の人は、
上の句をあれこれ付けたのでした。

もとはかくのみなむありける。

もともとはこのよう(いはで思ふぞ言ふにまされる)であるだけであったのです。